sputniksweetheart1128's diary

メランコリックな日記かもです。だって心を持ってるんだもん。

旅人たち

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旅したい。

違う言葉。見慣れないけしき。次の角を曲がれば何が見えるのだろう。

日常から切り離された時間に身を置きたい。異邦人になりきって街を闊歩するのだ。

もちろん、ありきたりな観光地やお土産はスルー。空気感と匂いと風だったら買って帰ろうか。


友人がヘリの操縦免許をアメリカでとることになり、私も便乗でアメリカを旅したのが20代の終わりごろ。とにかくお金がなかったので 、格安のチケットでフライト、宿泊はアメリカ人と結婚した友達のお姉さんの家に居候させてもらった。旦那さんは軍の事務系の仕事をしていて、家族は子供が三人と熱帯魚と猫のミッドナイトとソックス。真っ黒な猫だからミッドナイト、足先が白い靴下はいているみたいだから、ソックス。モハーヴェ砂漠のエドワーズ空軍基地に隣接する小さな住宅地に住んでいた。

妹の友人とはいうものの、見ず知らずの小娘(わたし)にも家族みたいに接してくれて、ほんとに明るくて逞しいお姉さんだった。

旦那さんとケンカしたときは、庭にでて星を眺めながら煙草を吸うのよ、と笑ってたけれど、あんな何にもない砂漠の真ん中で、生まれた国から遠く離れて見る星はどんな光で瞬いてみえるのかな、と私は時差ボケの頭でぼんやり考えてみてた。


誰でもが旅人。

華やかな旅行ガイドには載ってない自分だけの旅路だ。

思いがけない悪路や不運な日があっても、同じような旅を続けてる沢山の人達の足跡を頼りに進もう。

その足跡は、彼女がみてた砂漠の星のように私のなかで輝やくから、辿っていける。














甲子園

夏の甲子園が始まる。
うちの本家筋は高校野球ではお馴染みの宗教団体に属している。というか、それでご飯を食べている。

うちの父は次男坊なので後継ぎにはならなかった。さほど信心深くもないと思う。それでも親戚一同みな信仰していて、何かにつけ顔を揃える。
子供達はよくわからないままに親に連れられて行事に参加していた。
従兄弟や同じ年頃の子供達と遊べるので集まりはそう苦痛ではなかったけれど、ものごころ付き出した頃なんか変だと思い出す。

普通の叔父さんなのになんで人を諭すことができるの?普段は不機嫌な顔してるよね?毎日してるお祈りは義務?どうして皆からお金もらうの?

癇癪持ちで変り種の子供だった私はきっと叔父さんに嫌われていたと思う。私も叔父さんが大嫌いだったからおあいこだ。

大人になった今は叔父さんのことを気の毒な人だと思う。人の一番大切な想い、弱くて仕方なくてでも縋りついて生き抜きたいという想いが形になったもの、信仰という人間の奇蹟を、家族を養い日々すり減らしていく暮らしと取り引きした人だ。

正座した叔父さんが話す神様は楽しくなさそうね。私は私の不真面目で不謹慎な神様のほうが似合ってる。ぎりぎりのところで私が踏ん張るのを面白がってるみたいだよ。

それからひょんなことから私はクリスチャンになったけれど、教会にはほとんど足を向けない。だって神様は教会に住んでる訳じゃないから。

ポケモンから悪の華まで

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娘が四泊五日で弓道部の合宿に出かけた。高校生にもなれば親にまとわりつくこともないし、ほとんど自室に籠ってるのだけど、実際に居ないとなるとなんとなく寂しい感がある。

娘不在の部屋に入ってみる。

呆れるほど散らかってる。毎度のことだが。

娘が気付かない程度に片付けつつ、小テストの結果やお知らせを見る。勉強してないのことが一目瞭然。ここで腹を立てないこと。

散らばった漫画本を本棚に並べる。ポケモンって高校生になっても読むみたい。まどマギ、もやしもん聖☆おにいさん。実は娘が持ってる漫画は全部読んでいる。面白ければ続巻を私が買うこともある。「悪の華」「進撃の巨人」。お。すごいね。つい引きつまれてしまう。続きが読みたい...。

確かに設定やストーリーが衝撃的であればあるだけ心を強く捉えられてしまう。独創的なその世界観には魅了されてしまう。だけれど、描かれている人間はそうそう変わらない。笑い、泣き、不安に慄き、怯え、勝利に歓喜する。太古からの人間の営みだ。それはおそらくこの先も変わらないはずだ。これからも漫画の世界は多かれ少なかれ人間讃歌を謳い続けていくのだろう。

想定外の出来事が起こったときの人間の心の揺れやそこで発見する思いもかけなかった自分の感情。思春期の子供達はそれを知りたい。表も裏も。誤魔化しのないこころのすべて。子供はそこでいろんな心の可能性を発見する。そこでみつけた種を育て、その実が結実する場合もある。(良い実だったらいうことなし)


娘よ、いろいろ書いたけど、新刊でたらまた教えてね。また漫画喫茶行きましょう。

引っ越し

伊勢丹新宿店一階フロアーは、とにかく従業員が多いのとお化粧の上手さで客を圧倒してる。機会があれば見てきてください。見事なもんです。


去年の春に引っ越してきた今の住まいは築30年の中古マンション。なにぶん古いのであちこち不具合があるがまあまあ気に入っている。昭和の香りがしてるねと表現することにしてる。

人生18回目の引っ越しだ。日本人は引っ越しの回数が平均5回らしいから私はその3倍近く引っ越してることになる。少し多いかな、と自分でも思う。親の都合とか進学、就職、身体を壊して実家に戻る、また都会へ、結婚、家建てる、離婚、上京、再婚、現在に至るってところですか。あ、家出もあったな。

家族が増えるとそれだけ荷物も多くなる。動物を飼ってるから(犬1匹と猫2匹、熱帯魚)それの移動も考えないといけない。狭い部屋に移ったので入らなくなった家具は処分した。作り付けの壁一面の収納があるから嫁入り道具の巨大なタンスも泣く泣く捨てた(泣いてない)。まさに断捨離の境地。

引っ越し自体にはいろんなコースがあり、我が家はエコノミーコース、運んでもらうののみ。荷造り、荷ほどきは自分でやる。

段ボール60個(!)を準備して一週間かけて詰める。途中であきらかなゴミが発見されることもあるがとりあえず詰めておく。

新居に運んだ後は、怒涛の梱包開き。

1.カッターナイフ (ガムテープを切るため) 2.軍手(手を痛めないように) 3.ハンドクリーム(手荒れ防止)

梱包開きは手荒れとの戦いなのだ。少なくとも上記の3点は準備はしておきたい。

すぐ開ける箱にはイラスト書くなりしておく。ケトル、コーヒー豆、ドリッパーとペーパーフィルター、カップはすぐ開け箱に入れておけば新居ですぐコーヒーが飲めます。とりあえずコーヒー入れて落ち着くのもいいでしょう。

あとは自分のペースで荷ほどき。


むかしすごい格安の引っ越し屋さんを頼んだら、か細いお兄さんとおばさんと足の悪いおじさんがやってきて、不安になったんだけど、その不安は見事的中、午後から降り出した土砂降りの中わたしも冷蔵庫運んだりして、引っ越し屋さん以上に働いてしまった、という引っ越しもあった。荷造り荷ほどきすべておまかせコースで引っ越したこともある。


引っ越しは疲れる。

これから先引っ越すことのないようにしたい。 

ハワイだったら引っ越してもいいけどね。

かくめい

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今年の人間ドックでグレーゾーンの異常細胞が見つかり、精密検査を受けた。結論から言うと、要経過観察ということで二ヶ月後にまた細胞診を行う。無罪放免じゃなかった。

体調は普段と変わりがなく、自分の中に悪い細胞があるという実感は薄い。

ドラマチックなことが起きた訳じゃないし、悪夢でさえないのだ。もっと酷いことは世界中にあふれている。

大学病院の帰り道、日傘をさしてゆっくり歩きながら「何を考えるべきなのかな?」自問自答した。読みかけの本のこと。見たい映画。なぜ世界から戦争はなくならないのかとか?。明日行くライブに何を着て行こうか。「大切なことは?」現実。想像力。「昨日の私と今日の私は同じ人間だよね?」違ってると思う。「同じでしょ」そうかな。


「革命が起こったんだよ」!


日々の生活に慣れきってしまった私の人生に起きた革命だと考える。自分を特別視して哀れむのは馬鹿げている。世界は争いだらけ。競争。戦い。誰かと。自分と。血を流し涙をこぼし汗をかいて。有意義な戦いをしよう 今日が始まる。

うそつき

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五十鈴ちゃんの身体は自慢話で出来ている。嘘もつく。それは五十鈴ちゃんの心が空っぽで寂しいからだろう。何かで満たさないと心の底が見えてしまうのが怖いのかもしれない。

五十鈴ちゃんは自分が特別な人間だと思われるよう、いろんなものを散りばめる。東京マラソンに毎年出場している叔父さん、リスが遊びにくるほど広い庭のある家に住んでいること、病弱だった子供の頃から診てもらっている主治医の出世etcetc。すべての価値あるものは五十鈴ちゃんを讃えるために存在する。

最初は話を聞いていた周りの人々もそのうち辟易して陰口を言い出し、五十鈴ちゃんは孤立してしまう。子供の頃からそんなことを繰り返してきたに違いない。

五十鈴ちゃんは本当はそんなものに価値を見出してはいない。五十鈴ちゃんが欲しいものは受け入れてくれる相手であり、一緒に感動してくれる心なんだと思う。多かれ少なかれみんな同じ。みんな、寂しい。

心は不思議だ。見ないふりをしていても居場所を知らせてくる。自分の欠落や願望が何処にあるのか教えようとしている。たとえそれが目を背けたくなるほど無惨な欲望だったとしても、真摯に対峙して救い出してあげねばならない。そうしないと人はみな五十鈴ちゃんになってしまって、間違った対象にひれ伏すようになってしまう。そんな目隠しされたままの生き方は、私は嫌だ。

徹したい。己は何も持たず生まれてきて何も持てずに消滅してゆく、他から借りてきた権威で己が少しでも権威があるように錯覚したりせず、偽りではない、形や権力や富などではない本物の価値あるもののみに心を捧げて生きていけますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花かるた


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花札は子供の頃周りの大人が遊んでいるのを見て覚えた。「いのしかちょう」「つきみていっぱい」「はなみていっぱい」。絵札も親決めで振るサイコロも可愛い。漁師が多い島の暮らしでは、花札は大げさな賭博ではなく普通の気晴らしの一つだったように思う。

水商売をしてた頃、働いてたお店の常連客にアダルトショップの経営者がいた。しっかり者の妻と可愛い子供と購入したばかりのマイホームを大事にしてる普通の人だ。彼は、違法な「裏本」も扱っていた。摘発されたときのためにダミーの社長を雇っていて、結構な額の報酬を支払っていると話していた。お店がはねたあと、お店の女の子たちとダミー社長、彼とで大量の裏本が積まれた倉庫がわりのマンションで花札をしながら、自分がずいぶん遠くまできてしまったことを考えたりしてた。

何にも属していなかった不可思議なあの頃と少し哀しい人たち。

いまは空調がよくまわらない年代物のビルのオフィスであくびしながら働いてる。

今があの頃と比べて平凡だけど幸福です、などとは言いたくない。無茶もしたけど愛おしい日々だ。

私にはNintendoはいまだ「任天堂」だ。